地図から消された村…穂々神村 ほほがみ村

「地図から滅(け)された」といわれている村。
 岩手県八幡平市(旧安代町・松尾村・西根町)に存在したといわれる村である。
稲作を中心にした典型的な農村だったといわれており、質の高い米がとれたことからも田・稲穂に敬意をはらい、神として崇め奉っていたことから【穂々神村】と命名され、祭られている神様の名を【穂々神様】という。
また【穂々神様】は周辺地域でも稲作の神様として信仰も厚かったといわれている。
 ……しかしこの【穂々神村】は神隠しが起こる村との噂も絶えず、周辺地域で神隠しが起こると「祭りに誘われた」「村に呼ばれた」などといわれていた。

 昭和初期あたりから地図にその村名が記載されなくなり、人知れず廃村となり地図から消滅したのではないかといわれている。
…が、まだ山中のどこかに村が存在しているという噂もある。



■上記の文章は岩手県八幡平市(旧安代町・松尾村・西根町)周辺地域に伝わる話・噂をまとめたものである。
 そもそも大正から昭和初期にかけての松尾村周辺の地図が現存していない(ほぼ皆無…)ことから、村があった場所を特定することはかなり困難を極めると思われる。しかし、この【穂々神村】の存在を証明する人々が現在少数ではあるが存在することも確かである。
書物による記録がないのが残念ではあるが、口伝による伝承を行っている地域もあった。
(ある意味この書物による記録がないというのは「記録したくない事実(神隠し?)」があったと考えることも出来るのではないだろうか…またこの地域に伝わる村に関する口伝や伝承も教訓や戒めといった意味合いのものが多かった)
そして口伝や伝承で【穂々神村】の存在を肯定する人々がいる地域を集計すると、旧松尾村が最も多く、続いて旧西根町西部と旧安代町南部、 最後に滝沢村、玉山村、岩手町、雫石町の地域で極一部、という結果がでた。
(盛岡市より南部、葛巻町より東部、九戸村より北部では【穂々神村】の口伝や伝承を伝える人は皆無で、そのような村の話を聞くこと自体が初めての人がほとんどだった)
 このような事は日本北部特有の閉鎖的環境下でおこる事象であり、生まれた土地から離れたくないという土着民が多いことからもこの村自体の話が飛散していないのではないかと考えられる。またそのような理由から、今までこの【穂々神村】の存在が公の場に出てこなかったのではないだろうか。

 以上の事を総括すると、旧松尾村に【穂々神村】が存在したと推測するのが一番可能性が高く、妥当な線ともいえる。

 では【穂々神村】はいったい旧松尾村のどこに存在したのだろうか………


■予備知識ではあるが、まずは旧松尾村について知っておこう。
 盛岡市の北西部に位置し秋田県田沢湖町と境を接する山村で、村域の約70%は岩手山・八幡平などの山岳で占められ、耕地は村の中央を流れる松川・赤川に沿ってひらけていた。
 明治34年(1901年)、硫黄の鉱山が発見されて以来、全国硫黄年間需要量の80%を生産する硫黄の「松尾鉱山の街」として知られるようになった。この松尾鉱山、最盛期には従業員4,500人、鉱山の人口1万3,000人を数え、鉄筋コンクリート造り完全暖房のアパートが立ち並び県内一の総合病院や劇場などが次々に建設され、中央から第一線の芸能人が来山するなど標高1,000メートルの山上に出現した「雲上の楽園」と称されていた。その後、鉱毒水問題が表面化し石油精製時にできる回収硫黄にも押されて昭和47年(1972)に廃山となった。
 「鉱山の街」から一転して現在は岩手山登山の玄関口として脚光を浴びている。また山間部には松川、藤七、八幡平などの温泉地があり、日本初の地熱発電所である「松川地熱発電所」も現役で運転されている。
※右の写真は最盛期当時の松尾鉱山。



■…以上の事をふまえた上で【穂々神村】の所在を探ってみようと思う。
 旧松尾村周辺地域では現在でも稲作が盛んなのは事実である。よって安易ではあるが当時の【穂々神村】でも稲作が行われていたと推察するのは容易であり、また東北地方でよく見かける田んぼ脇の「祠」や「小さなお社」。これは自分たちの田んぼを守ってくださる神様の滞在する場所で、昔は田植えの時にお迎えして、刈り取りが終わった後感謝をこめてお送りしていた神事の名残である。
(現在でも数は少なくなったが、この風習をされている農家の方もいる)
要するに昔から農業の神様、田の神様に対する信仰心というのは厚かったはず。
「……田・稲穂に敬意をはらい、神として崇め奉っていたことから【穂々神村】……」
この辺りもあながち嘘ではないと考えられる。

 では実際に松尾村周辺の地図をもとに【穂々神村】の場所にあたりをつけてみることにする。
ポイントは2つ。
@稲作が行えそうな場所。
A【穂々神村】は地図から消えているという事。


 @から考えれば場所の検討はすぐにでも付くはずある。上記でも説明されているがこの旧松尾村、70%が山岳地帯なので平地と呼べる部分がかなり限られてくる。そして稲作には豊富な水源が必要である。細かく言えば松川、赤川、後藤川がこの平地部分に流れる川である。
この川の周辺なら間違いなく稲作を中心とした村が形成されるはずである。
 しかしここで問題なのがAである。平地部分には昔から人々が住んでいる。もしそこに【穂々神村】があったのなら地図から消えるよりも現存している方が自然である。それに平地部分の方が周辺地域に密接に繋がっているため、地図から村が消えたともなればもっと広くこの話が広がるはずである。
 では対象地域を平地部分から山岳方面、地図的に言えば旧松尾村の西の方角で検証してみる。この辺りは南部方面に岩手山(標高2,038m)があり、西部方面にアスピーテ火山として有名な八幡平(1,613m)茶臼岳(1,578m)などの山脈がそびえている。平地部分から西方面はほとんど山岳地帯といっても過言ではない。
たしかに清流を求めるなら上流へとさかのぼった方が良いのだが、この旧松尾村に限っていえばそういうわけにもいかない。川の上流といわれる部分がほとんど渓谷のようになっている。それにスキー場がいくもある、急斜面が多い証拠だといえよう。
急な斜面、稲作……と連想されるのは棚田であるが、そこまでして山岳方面に村を作る理由があったのだろうか………

 何度も地図を見つめているとこの山岳方面、意外なほど沼が多いことに気付く。
熊沼、石ガタ沼、夜沼、大揚沼、蓮菜沼、八幡沼、ガマ沼…大小あわせればかなりの数になる。
沼地の周辺はほかの山岳部分に比べれば比較的なだらかではある……だが先ほどもいったがこの山岳方面はアスピーテ火山帯、しかも標高は1,000mを越えてくる。草木は生えるだろうが稲作に適しているかと問われれば、素人でもノーと答えるのではないだろうか。

 そういえば現地調査(柏台か八幡平温泉郷のあたりだったと思う)をした時に何枚かの写真を譲り受けたことを思い出した。その時の老婆がたしかに【穂々神村】の写真だといっていたのを覚えている。
たぶん当時(存在していた時)の写真なのだろう。
 両方の写真から推察するにやはりこの村は山岳地域にあったと思われる。
左の写真からはかなりの高低差を感じるのと微かではあるが遠方に山を確認することが出来る。
右の写真からは急斜面での生活がうかがえる。
もう一度左の写真を見てもらえるだろうか、その下方部分畑が見えると思う。畑である。水田ではないということだ。ここ以外に水田が広がっているという可能性もあるが、やはり山岳地域と考えると稲作という説に陰りが見えてくる。
 さらにこれも左の写真だが右上方部分に注目して欲しい、湖らしきものが見えないだろうか。だがここを旧松尾村という条件で当てはめるなら湖ではなく………「沼」……の可能性のほうが高い。といわざるを得ない。

 ………急斜面、急勾配。遠方に見える沼。稲作中心ではない村………

総括すれば【穂々神村】は旧松尾村の山岳部にあった村だと位置づけることが出来る。
そろそろこの村の位置が見えてきたのではないだろうか。
鍵になるのは上記の左側の写真。このような見え方をする沼である。しかしある程度の大きさがある沼としか認識することが出来ないのでおおよその位置というのが限界だろう。

 ここに【穂々神村】が存在したであろう可能性がある高いポイントを2つ挙げることにする。
@茶臼岳山頂より南西地点。「熊沼、石ガタ沼、夜沼」が写真の沼だとした場合。(夜沼川・北ノ又川エリア)
A源太森を中心とする周辺地域。「八幡沼、ガマ沼」が写真の沼だとした場合。(八幡沼・源太森エリア)

 もう一つ、大きな沼ということで考慮すれば松尾鉱山周辺の緑ヶ丘地域。「鉱水処理場、大沼」が写真の沼だとした場合。というのも考えられたのがこの辺りは当時、松尾鉱山の影響で近代都市になっていた可能性が強い。よってポイントから外さざるを得ない。(緑ヶ丘エリア)
さらに付け加えるなら岩手山裾野の松川温泉周辺というポイントも可能性はあったのだが、ここの地形は渓谷となっており左の写真のように沼を見下ろした時に遠方へと景色がひらけない可能性が強い。またこのあたりの影沼などはそれほど大きくない沼である。よってここも外さざるを得なかった。(松川エリア)


※上記の四枚はクリックする事により拡大表示されます。


 こうなってくると、もはやその地に足を踏み入れるしかないのだが………


しかし……

ひっかかる………

そう思わないだろうか……………


今しがた稲作中心ではなかったといった。
ではなぜ……………【穂々神村】……………と名づけられたのか………………………


 「……田・稲穂に敬意をはらい、神として崇め奉っていたことから【穂々神村】……」
この辺りの話はあながち嘘ではない気がする。だが、「この【穂々神村】は神隠しが起こる村との噂も絶えず」という話も何かしら裏がありそうである。
………【穂々神村】………
この表記名、後付なのではないだろうか。だとすれば…いったいどんな………

この謎を解くには旧松尾村周辺地域に語り継がれる【穂々神村】に関する「口伝・伝承」を知る必要がありそうだ。

Copyright(C)2005-2008 HOHOGAMI-Village production committee. All rights reserved.